日本のゲイパレードの在り方
今から1ヶ月後に東京でゲイパレード「東京レインボーパレード2013」が開催されるそうな。長年続くゲイコミュニティ内での政治的いざこざを乗り越えて、名前や主催者がどうあれゲイパレードが行われるのはめでたいことです。
僕はこれまでにサンフランシスコ、ソウル、ロンドンのゲイパレードを見てきました。日本のはまだどれも行けていません。一番楽しかったのは2009年のソウルです。欧米のプライドとは比較にならへんぐらいこじんまりしたイベントでしたが、在日のゲイとしてすごく「しっくり来た」からです。
欧米では大企業をスポンサー陣に構え、警察も含めた行政の力も動員して、観光客を集めるためにこれでもかという華やかさを演出して行われます。そのためセクシュアリティの多様性がある程度受け入れられている土地では特に、政治的意義よりも経済的意義のほうが大きいように見えます。そんな政治的な稀薄さはやっぱりあちこちに表れてくるもので、より大きい金額を動かせる団体が権力を持つ分、プライドのメッセージも(あったとしても)保守的あるいは無批判なものになりがちです。アメリカやと主に裕福な白人ゲイ・レズビアンを中心層とするHuman Rights Campaignなどが大々的に同性婚の合法化を全面に押し出してきますし、欧米では多国籍大企業がここぞとばかりにゲイフレンドリーさをアピールして消費主義文化を煽ります。
それに対し、色んな方面から批判の声は上がってきます。国家という枠組みに依存した婚姻制度を強調する形の同性婚は、キャンペーンに費やされる金額の割にLGBTコミュニティ内でも比較的一部の人間(金持ちゲイ、白人ゲイ、ナショナリストゲイ、障碍を持たないゲイ、国籍保持者ゲイ、中年以上のゲイなど)しか恩恵を受けないものだとして批判されています。現にHuman Rights Campaignなどのメジャーな団体はLGBTユース、有色人種のクィア(Queer People of Color: QPOC)、トランスの人々などに対して敵対的であることで(そういう敏感なコミュニティの間では)有名です。また、それに呼応するように、グローバル資本主義に迎合する「ゲイ・ライフスタイル」は商品的価値がそのまま政治的価値に置き換えられています。たとえば旅行業界やアルコール業界はいち早く子無しゲイのポケットマネーに目を付けた産業の一つですが、旅行というものの帝国主義性・植民地主義性を顧みることなく今日もたくさんのゲイが「エキゾチックな」場所で「エキゾチックな」男達を視姦(または買春)し国際的な労働力の搾取の恩恵にあやかっています。そしてLGBTコミュニティ内でのアルコールやドラッグへの依存問題には目を背けて、バーやクラブ中心の文化は発展を続けています。さらに全体的なゲイ消費文化に関する環境問題への声は未だほとんど聞こえないままです。
もっと踏み込めば、近年では国境を越えた政治的な問題がどんどん浮かび上がってきています。特に、欧米以外の国や地域、文化を、よく知りもせずに(もしくは巧妙に、意図的に)ホモフォビックだと決めつけて政治的介入の言い訳に利用したりすることが増えていて、同時に欧米または白人文化をゲイフレンドリーかつ先進的だという風潮を作り上げることを含めて、うちの大学のJasbir Puar教授は「ホモナショナリズム」と呼んでいます。顕著なのはイスラムに対する先入観・ステレオタイプ・恐怖心などを利用して反対に西洋諸国を「善」と位置づける流れで、これはパレスチナ・イスラエルの問題に深く関わって来ています。現在イスラエルは、パレスチナの占領政策の一部として、パレスチナを含めたアラブ・イスラム文化をホモフォビックと呼ぶことで、「ゲイフレンドリーな」イスラエル国家による占領を正当化しようと全力を尽くしています。その一環でイスラエルの観光局はゲイ雑誌などに広告をどんどん掲載したり、また2006年にはワールドプライドを開催したりと、ゲイの旅行先としての地位を確立しようとすることに努力を惜しんでいません。
こういった国際的な流れの中で、東京レインボーパレード2013が、パレスチナの占領を続けるイスラエルの大使館や、中東を始め世界中で帝国主義外交政策を行っているアメリカの大使館の協賛を受けていることは、僕としては許されることではないと思っています。また、天皇制を直に支えるものである日本の戸籍制度を問題として捉えることなく同性婚を支援することは、大和民族中心の日本を保持し、アイヌ、沖縄、在日外国人の迫害に加担することであり、さらには女性差別を構造的に助長することでもあり、実に目に余る状況です。もともと欧米ゲイ文化の単純な模倣で終わっていた感じのあった日本のゲイパレードが、いよいよそのナショナリズムまでコピーして、日本や世界中の排外主義の流れに身を任せ始めたかと思うと、痛々しいと言わざるを得ません。賛同企業も自動車やアルコールの海外資本が名を連ね始め、ゲイプライドの商業化は当然であるかのような雰囲気が汲み取れます。
これが果たして本当に東京のゲイパレードの望む未来なんでしょうか。大規模化を目指すことは政治的意義を高めることであり、僕は反対はしません。でもその課程で国内外の他のコミュニティの抑圧に加担したり、商業化を押し進めて消費文化を喧伝したりすることは避けられることであり、避けられるべきだと思います。せっかく政治意識のあるLGBTコミュニティが集まって何かを成し遂げようとする絶好の機会やのに、レインボーパレードがこんな中途半端な形で、ただのお祭り騒ぎで終わっていくのはもったいないし、悔しいし、やりきれません。
僕がソウルのゲイパレードで気に入った、というか感動したのは、大企業の賛同は無かった分規模も小さかったけど、女性や10代・20代のボランティアの人達が中心になって動かしていたことと、朝鮮の農楽(プンムル)のパフォーマンスがあって、その衣装にレインボーカラーが取り入れられていたことです。特にプンムルは僕にとって朝鮮の農民のつよさを象徴するもので、コリアンであることとLGBTであることは矛盾ではないということを生まれて初めて実感しました。メディアには黙殺されたやろうし、お祭り騒ぎ的な面ももちろんあったと思います。でも僕が本当に「行ってよかった」と思えたプライドはあれが今のところ最初で最後です。友達もできました。
東京を始め、日本のLGBTプライドもまだまだその在り方を模索中やと思います。欧米のように無批判な商業化に向かうのか、国際的な問題や環境問題、また他の全ての差別や抑圧に敏感な姿勢を育てられるのか、今からでも遅くないし、これからもっと大きく問われていくべきだと思います。東京レインボーパレード2013の運営委員会が言うような「多様な個性に寛容な社会」を目指すだけでは乗り越えられない複雑な権力の構造や不平等性と向き合うことは、「誰もが生きやすい社会」を作るのに必要不可欠です。
- [2013/03/28 07:03]
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