「在日でゲイ」 

このブログのタイトルは「在日のゲイ」でも「ゲイの在日」でもありません。僕が「在日でゲイ」に落ち着いたのは、少なくとも今の25歳の自分の中で「在日」であることと「ゲイ」であることは同列だからです。どっちが上でも下でもなく、どっちが先でも後でもなく。「ゲイで在日」にせんかったのは単なる言葉の響きです。

でも、これまでずっとこう感じてた訳ではありません。日本を出るまでは自分自身を在日コリアンやと思ったことは殆どありませんでした。僕の父親は在日2世で母親は日本人、僕自身は名前も国籍も文化も言語も日本人で育てられたからです。つまり、自分を朝鮮人やと自認するに至るような基盤があまりにも無さ過ぎたのです。

機転は大学進学のための渡米でした。大学生活やボランティアを通して韓国人留学生やコリアンアメリカンの友達と交流する機会を持って、初めて朝鮮人であるということは自分にとってどういう意味があるのかを考え始めたのです。厳密に言うと機転は渡米そのものじゃなくて、生まれて初めて自分の家族以外の朝鮮人と話す機会を持てたことかも知れません。新しいコリアンの友達を作る度に、必死で「俺の父親コリアンやねん」ってアピールしつつ「でも朝鮮語全然喋れへんけど」って言い訳をする自分が、今思うとすごくもどかしかったんやと思います。

そんなもどかしさを消化するきっかけを得られたのは、偶然であれ必然であれ、「在日でゲイ」である自分を認めて、尊重して、更に必要としてくれる在米の在日やコリアンアメリカンの人達に出会えたことでした。このコミュニティについては今後もっと詳しく書いていこうと思います。

一方で、「ゲイ」としての自覚を持つのはかなり早かった上に、それに対して悩みこそすれ本気で苦しんだことはなかったものの、セクシュアリティの問題は常に在日としての問題よりも遥かに大きい存在でした。ほぼ日本人として生きてた10代の僕には当然のことと言えるかも知れません。

それでも、小学校5年の時に近所のツタヤでゲイ雑誌「バディ」を見つけたことで、「ゲイ」という言葉そのものに出会い、他にも全国・世界中に「ゲイ」がいることを知り、「ゲイ」でも取り敢えず生きていくことは出来ると分かっていました。さらにその後すぐ、母親がいわゆる「やおい系小説」や「BL小説」をよく読むことに気付いてからは、いつか家族に「カムアウト」しても大丈夫やと思うようにもなりました。これは自分でもラッキーやと思い、しかも在日コリアンハーフ(当時はハーフとして自認してたので)、この境遇を最大限に活かすためにはゲイと在日の人権運動に携わるしかないやろ、と決めるに至った訳です。

そのためには日本の大学に行っても仕方ないと分かってたので、情報収集から入学手続き、ビザの手配まで何もかも自分でして、2006年にサンフランシスコ州立大学に入学しました。そして渡米して最初の誕生日、20歳の誕生日に、当時母親も読んでいたブログに、サンフランシスコに来た一番の理由はクィア理論を学ぶためやという説明を公開したのです。このお蔭で、それ以降は心置きなく勉強と運動に集中してこられました。

ブログ用なのでかなりの要約ですが、取り敢えず僕はこうして、「ゲイ」であり「在日」である自分と居心地の良い関係を築いてきました。そんな過程を「すごいね」と言う人もあれば「へぇー」としか思わへん人もいます。別に他人にどう思って欲しいとかはありませんが、自分では何よりも常に恵まれた環境に運良く身を置いて来られたと思います。この境遇を書ける位置にいるからこそ、「在日でゲイ」である一人として、これからも色んな人と繋がっていけたらいいなと思っています。


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